100年前や100年後を思って。熊野のヒノキを使ったikikukkaが描く未来6

フィンランド生まれの家具、ikikukkaはこれまでフィンランドのパインを使ってつくられてきました。これからは身近な場所で育つ木を使っていきたいという思いから、三重県熊野市にある製材所「nojimoku」と共に、熊野のヒノキを使ったikikukkaづくりを現在行っています。100年という長い歴史の中で、人が手塩にかけて育ててきた熊野のヒノキ。熊野の森について伝える活動もしている「nojimoku」の野地伸卓さんにお話を伺いました。「日本には木のない時代があった」という歴史から、100年後も森やikikukkaが続いていくように思い描く未来まで、次々と話が広がりました。

 

 

 

お互いの思いが重なり生まれた、ヒノキのikikukka

 

―ikikukkaはこれまでパイン材を使って作られてきました。新しく、ヒノキのikikukkaをnojimokuさんと共につくることになったきっかけについて教えてください。

 

湯谷:ikikukkaではこれまでフィンランド産のパインをずっと使ってきました。それは北欧家具だとアピールしたかったわけではなく、品質と価格の観点からすると最善の解答だったからなんです。皮肉な話なのですが、遠い北欧からたくさん石油を使いながら時間をかけて船便で日本に運ばれてきたパイン材は、日本の山で切り出されて日本の中で輸送されてきた木材よりも、価格がずっと安く安定していたんですよね。

 

フィンランドは寒くて平地だということもあって、木目の詰まったまっすぐな木がたくさんとれます。さらに、木を切ったら植えるという循環の仕組みが国に確立されていて、林業や木材を使った加工業が国を挙げた大きな産業に成長しています。

 

―日本とはだいぶ異なる状況なのですね。

 

湯谷:「パイン材だったら価格も安定しているし、品質も大丈夫」という思いと、「ikikukkaは日本の家具だけど、材料は遠いところから持ってきている。本当にずっとこのままでいいのかな?」っていう思いが両方ありました。そんな中、夫と設計事務所を一緒にやっているので製材屋さんと関わる機会があって、住宅の床材にnojimokuさんのヒノキを使わせてもらうことがありました。4、5年ぐらい前ですかね?

 

野地:そうですね。

 

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湯谷:そのヒノキの床材が良かったので、積極的にお客さんにもヒノキを勧めるようになりました。野地さんから今の樹木の状態や日本の森林についてのお話をたくさん聞くようになって、「いつかヒノキでikikukkaを作れないかな」とぼんやり考えるようになって。

 

その後、新型コロナウイルスの影響で世界中で木材の価格が高騰した「ウッドショック」により、木材の取り合いになる状況が起きて、フィンランドのパイン材もその影響に遭いました。今後も安定してお客さんが買える金額でパイン材を仕入れることができるのか不安な中で、国産の木を使う選択肢が生まれ、野地さんに相談をしてみたところ、野地さんたちも製材所として新しい道を模索しているというお話を伺って。野地さんたちがやってみたいことと、私たちがやってほしいことがちょうど一致したタイミングだったんです。それがきっかけで、やりましょうってなったんですよね。

 

―野地さんは、ikikukkaのどこに魅力を感じましたか?

 

野地:自分の好きなように組み立てることができるというのが一番印象的でした。あと、もともとフィンランドの木の使い方にかっこよさを感じていたので、フィンランド生まれの家具だということにも興味がありましたね。湯谷さんご夫婦は、「流行ってるからいい」などではなく、物事の本質を見てその深みをわかった上で善し悪しを判断していて、芯がある方々だなと思っていました。

 

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―現在はヒノキのikikukkaの試作を検討しているところだそうですね。作っていく過程で感じられていることはありますか?

 

湯谷:木と毎日向き合っているnojimokuの皆さんが、「自分たちがこの家具を作っているんだ」という意識を持っているからこそ、「ここはもっとこうしたらいいんじゃないですか」と私たちも提案ができますし、「嘘のないもの作り」という価値観が共有できているといつも思っています。

 

野地:僕たちは普段、住宅を作る上でのパーツである床板や柱などの建築資材を作っています。それを大工さんたちが組み立てていくので、僕たちがお客さまに届く商品を作っているわけじゃない。だけど、家具は僕たちがお客さまに届く商品を作っていくことになるんですね。最初から最後まで僕たちが作り上げるのは初めての取り組みなので、消費者とダイレクトに繋がり、最後まで自分たちが責任を持つ緊張感はありますね。

 

 

 

100年間、手間をたっぷりかけて作られた熊野のヒノキ

 

―熊野で育つヒノキとは、どのようなヒノキなのでしょうか?

 

野地:「熊野の人ってどんな人なんですか」って聞かれるのと一緒で、「いろんな人がおるよ」という感じです(笑)。でも相対的な特徴としては、香りが強いとよく言われます。あと、木には赤い部分と白い部分があって、その赤い部分の色素が強い。農家さんに作りたい野菜やお米があるように、山の持ち主である林家さんが作りたい木というのがあって、熊野では年輪を緻密にした木を作るという林業の文化があるんですね。

 

―年輪が緻密というのは……。

 

野地:木を大きくするのに時間をかけると、年輪が細かく緻密に入るんです。100年で3回収穫する林業の仕方もありますが、熊野は100年で1回しか収穫しない。100年かけて大きくしていくとなると、間伐など手入れをする量も多くなります。間伐とは、いい木だけを残してよくない木を間引いていくことです。

 

木は、1ヘクタールで大体800本収穫できて、一般的には800本収穫するのに3,000本植えるんですね。熊野の場合は、たった800本の収穫に、6,000本から8,000本くらい植えます。だから、木が栄養の取り合いをして、育つスピードが遅くなるんです。

 

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―熊野では、植えた木に対する収穫がそんなに少ないんですね。このように、木を植えて育てることは、どこでも行われていることなのでしょうか?

 

野地:日本の場合は、1000年以上前から多くの地域で木を植えて育てる文化が存在しています。熊野の隣の尾鷲や奈良県の吉野、静岡県の天竜は古くから植林の歴史があるエリアなので、生業として林業で生計を立てている人たちがいました。そうだ、一番木の価値が左右されるポイントって何だと思いますか?

 

―なんだろう……。

 

野地:「節がない木」が価値が高い木とされてきました。節というのは枝の跡なので、枝が生えてきたら丹念に払っていくんです。100年の間、木が成長するまで何回も行っています。100年で3回伐採する場合に比べ、熊野の場合は100年に1回しか収穫できないから、時間をかけて価値を高めて、3倍の価格で1本を売る林業を行ってきました。

 

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―100年という長い年月の中で、間伐に加え、節が出ないように一本一本の木に手間をかけているんですね。

 

野地:そうですね。でも、今は節のない木に価値があることがあまり知られなくなり、節のない木がこれまでのように高値で取引されなくなってしまいました。熊野の和風建築の内装といえば土か木で、木を使う場合は節のない木を使っていましたが、そうした家が建たなくなって、節のない木が活躍する場がなくなってしまった。

 

熊野のヒノキはそれなりの価値で使ってもらいたいけれど、これから和室が増えるというのは考えられないので、建築需要には期待できない。じゃあ、何か新たなところで使えないかということで、人の目に見えて、手に伝わるものといったら家具だと思いました。だけど、家具の世界ではヒノキを使うことはほぼなかったんですね。でも、ikikukkaを見たときに「これ、ヒノキでできるんじゃないか」と思ったのがあって。

 

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湯谷:すごくいいものなのに、使われずにそのまま残っているという嘆きを野地さんから伺っていました。それを使う新しい場所としてikikukkaが役に立つのであれば、お互いにとってうれしいですし、使ってくれるユーザーさんも、今まで触ったことのないような良い素材を家の中で使うことができる。価値をわかっていただけるように、その良さをきちんと伝えていけたらなと思っています。

 

―フィンランドでも同様に、一本一本に人の手をかけているのでしょうか?

 

湯谷:フィンランドでも、日本と同様に切った分だけ植えていて、そうした意味では人の手がかけられていると思うのですが、オートメーション化が進んでいて、一連の流れを機械で行っています。というのも、フィンランドは人が外に立っていられないぐらい寒い時期がある国で、木を伐採するのは大体冬なので、機械を使う必要があるんです。それに、ほとんどが平地なので、重機を使った計画的な伐採が可能です。一方で、熊野の方々はすごく苦労されながら作られているように思います。日本は山に機械が入れない場所ばかりで、山を育てる人の存在がすごく大事になってくる。作り手の顔が目に浮かぶような素材だと思いますね。

 

 

 

日本は木に恵まれた国だけれど、木がない時代もあった

 

―日本は国土の7割が森林に覆われ、木に恵まれている国なのに、あまり使い道がないという話を聞いたことがあります。そうした課題に対して、野地さんはどう向き合われていますか?

 

野地:日本全体と言うと難しいかもしれないけれど、僕らが暮らしている地域の林業を回すことはできるんじゃないかと思っています。そのために、僕たちがどう需要を作り出して、どう良い商品を送って、どう取り組んでいけばいいだろうとずっと考えてきました。考える中で林業の歴史を遡ってみたのですが、そもそも日本には木がなかった時代があったんですね。

 

―木がない時代! 驚きました。

 

湯谷:これ、聞くと悲しいですよね。

 

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野地:はげ山になっていた時代があったんです。戦国時代が終わり江戸時代の頃、お城も建たなくなって建築需要も一段落と思っていたら、平和になったから人口が増え、エネルギーがより必要になった。当時のエネルギーは薪だったので、木をどんどん伐採して使っていたわけですよね。

 

いよいよ木が本当に足らないとなったときに黒船でペリーがやってきて、開国を迫られ、とんでもない外国の力を見せつけられる。日本はエネルギーがないからこのまま戦争になったら負ける、海外と戦える強い国にしないと占領されてしまうという恐れの中で明治維新が起き、海外にエネルギーを取りにいくようになります。それから太平洋戦争が始まり、戦争に負けて、はげ山になってぼろぼろになった日本がいろんな経済復興の政策をしていく中で、「よし! 木を輸入しよう」と輸入が始まったんです。

 

―初めに木を輸入するようになったのは、そうせざるを得ない状況があったからだったんですね。その後の日本の状況はどのようになったのでしょうか?

 

野地:今から100年前は、木を輸入しないと家が建てられない時代でした。ちなみに、同じようなことが韓国でも起きたのですが、韓国は木造建築を諦めて石の建築文化に入っていったそうです。でも日本は、輸入することで日本の木造建築を維持しようとしたんです。

 

当時は学校のような大きな公共建築物は鉄筋コンクリートで作らなくてはいけない法律ができたりして、その間も木を植え続け、育つまでは輸入や別の素材で凌いできた。ここ30年で「よし育ったぞ、さあ日本の木を使いましょう」となったときに、安い海外の木でこと足りているとなっているんですよね。

 

―輸入が定着してしまったんですね。

 

野地:そうなんです。今は国が木を推して、学校や保育所は木造化になりつつあるけれど、住宅市場は輸入した木材を使う家作りがスタンダードになっている。「日本の林業は儲からないから」と、何代か続いてきた林業家たちも後を継がなくなったり、製材所をやめたりして、どんどん疲弊していっています。今の日本は、この1000年くらいで見ると最高に木がいっぱいある状態で、質が高い木があるのにもかかわらず、歴史上最も価値が低い状態なんですよ。

 

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―木は身近な存在なはずなのに、あまりにも知らないことだらけだなと実感します。

 

野地:多くの人は、木に勝手に生えて勝手に育つイメージを持っていると思うんです。でもそうではなくて、100年という長い年月をかけて、人がどんな木に育てるか意思を持って植え、育てているものなんですね。要するに、お米と一緒なんです。100年前の人が思いを込めて手間暇かけて作ってきたものが、当時植えた人の意思の半額以下の価格になり、価値が失われていくと森を持続できなくなってしまう。

 

そうすると、環境にとっても大きなリスクになります。木をそのままにしておくと木は死んでしまい、植える人もいなくなり、ほったらかしの山になる。長い歴史の中で木を作ってきた人たちが報われるように、どうにかできないかなと思っています。

 

 

 

木々が循環し、ずっと続いていくために。ikikukkaができること

 

―人の手を加えず木々をそのままにすると、どのような環境にとってのリスクがあるのでしょうか?

 

野地:木を伐採しないでほったらかしにしておくと、その間も木はどんどん太り、葉っぱも増えていきます。そうすると、山の地表に光が届かなくなるんですね。光が届かないと草木が生えない。真っ暗な山になってしまいます。雨が降ると表層の土が流れて、土の表面に木の根っこが出てきてしまう。山の保水力がなくなって、ちょっと大雨が降ると土砂崩れが起きる状態になってしまうんです。

 

湯谷:人が木々を循環させてあげないといけないんですね。

 

野地:そうなんですよ。木を伐採して、若い木を植えて、育っていくという循環が、山の地表を守り維持することにも繋がるんですね。今も国からの補助金があるので、植樹は行われてはいるんですが……。

 

湯谷:植えても世話をしても、使われないってことですよね。

 

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―木を循環させていくために、どんなことができるのでしょうか?

 

湯谷:私が思い描いてたのは、ikikukkaでヒノキをたくさん使うことで、木を切って使うということにまず貢献する。木がある程度切れるようになってきたら、ちゃんと植えていく。今ある100年ものの木を切ってるだけだと、私たちの後を生きる人たちが暮らす場所には、木がなくなるわけですよね。今何もしなかったら、100年後には山に何もない状態になる。林業の人たちがどんなに長い目で仕事をしてきたのかを実感しながら木を植えていってあげないといけないですよね。それが100年続くのであれば100年後もikikukkaはあるでしょうし、100年後も使ってくれる人たちがいて、ずっと作り続けることができる。せめてikikukkaを作る分だけでも、木の循環に貢献できたらと思ってます。

 

野地:そういう世界が出来上がったら願ってもないことですね。僕は熊野に生まれ、暮らしているから、当たり前のようにあったこの環境がなくなってしまうのは嫌だし、何も知らないまま廃れていくのは嫌で、この地域を子供たちに残していきたいと思うんです。熊野の木が素材として良いというのもなくはないけれど、根本は「ここで生まれて育ったから、この地域のためにやりたい」という気持ちだけでやってるような感じがあります。

 

湯谷:この場所にいるからこそ、森を手がけてきた人たちの顔が見えるじゃないですか。野地さんの話を聞いてると、昔の人たちが手塩にかけて育てた木があって、それを苦労して伐採した人がいて、それを工場まで運んで切ってくれる人たちがいて、そこでさらに加工されて、塗装もされて、梱包されて出荷されるっていうことが伝わってきます。それはここでしかできない価値だと思うので、きちんと伝えていきたい。作っている人の顔をちゃんと伝えていけたらなと思いますね。

 

 

 

熊野の森とともに、100年後もikikukkaが使われる風景を描いて

 

―野地さんはもともと製材所の家で生まれたとのこと。学生時代は「製材所は時代遅れ」と考えていた時期もあったそうですね。

 

野地:かっこいいと思えなくて、これじゃモテないって思ってました(笑)。当時は高収入でいけてる仕事といえば、銀行員とか商社マンみたいな感じでしたから。大学の友達はそういうところに就職したりして、「なんで僕はど田舎に帰って、山の中に入って製材せなあかんのやろ」って思っていました。

 

それまでは自分がどう楽しい人生を過ごすかしか考えていなかったのが、子供が生まれた瞬間に「子供たちに何を残せるんだろう」と考えるようになって。それから、地域の環境や林業、親父たちが培ってきたものをどう残すか考え出して、そこから深掘りしていくことで、「これはすごく尊いものじゃないか」と感じるようになりました。背景を知ってるのと知ってないのでは、こんなにも木の捉え方が変わるのだということをもっと伝えなければと思って、「味わう暮らしをつくる製材所」という言葉を掲げています。

 

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―現在は製材業のみならず、製材の現場を訪れ、丸太から製品が出来上がるプロセスを感じられる「のじもくツアー」のような、木が身近になるために伝えるお仕事もされています。始めようと思ったきっかけもお伺いできますか。

 

野地:住宅資材の中で、木は唯一の生物由来です。生物である木を伐採して、僕らが加工してやっと資材である木材になるわけなんですよ。木を植えて、育てて、木材になるまでに100年の時間軸があります。だから、林業をやっている人は10何代目の人も多く、「13代目奥川清十郎」みたいに名前を世襲して受け継いでる人もいて。

 

湯谷:歌舞伎みたいですね(笑)。

 

野地:そうそう。その話を聞くと、素材以上に歴史や営みの方に価値を感じて、めっちゃ面白いやんってなって。石とか鉄にはない特別感を感じてくる。例えば、100年前の木を製材していると、途中で腐りとか傷とかが出てくることがあって。「あ、これは伊勢湾台風のときに木が揺れてひびが入って、こっから虫が入ったんやね」とかそういうのがわかるんですよね。

 

湯谷:すごい! そうですよね、年輪数えてたらわかりますよね。

 

―木という素材だからこそ、今目の前にあるものだけではなく、100年前や100年後を想像できますね。それは他の素材にはない魅力だとあらためて思いました。

 

野地:木の品質を上げることだけで勝負しても、鉄や石には勝てない。だから、勝負はほどほどにして、そうした歴史や背景を伝えることが、木の魅力を伝えるための一番の活動かなって思ったんです。のじもくツアーはそのための手段ですね。観光で熊野古道を訪れて、数百年も前からこの場所を歩いてきた人がいるということを体感してもらうだけでもいいですし。熊野のヒノキを使った家具があれば、友達が家に来たときに木の背景について話してもらうのもいいですし。そういうのが大事じゃないかなと思ってます。

 

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―ikikukkaも、次の世代、その次の世代と、長く使い続けることを考えて作られている家具です。山の木々を次の世代の人へと繋いでいく連鎖ともどこか繋がる部分があるように感じました。

 

湯谷:そうですね。ikikukkaって、100年後も使えると思うんです。例えば、私が今使ってる家具を子供たちが引き継いで使って、孫ができたとして、その子たちが使おうとしたときに「棚板が足りないから、パーツを足そうか!」となる。今から20年くらい前に伐採されたパインを使ったikikukkaに、今から30年後に新しいヒノキで作られたikikukkaを組み合わせて使うこともできますよね。さまざまな人の思いが詰まった、さまざまな時代のikikukkaが組み合わせて使われるのは、すごくいい風景だと思うんです。

 

そのときに、ヒノキのikikukkaを作るうえで考えてきたことや、熊野のストーリーをきちんと伝えた上で使ってもらいたい。100年後にikikukkaが使われるときには、熊野の森が今より良い状態になっていることを目指したいですし、そんな風景を夢に持ちながらやっていきたいですね。

 

 

text:竹中 万季 (me and you)
photo:剣持 悠大, 樹音(homevideo company)